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東京家庭裁判所 昭和44年(家)8335号 審判 1969年8月19日

国籍 アメリカ合衆国 居住 東京都千代田区

申立人 ジョージ・フリック(仮名)

本籍 横浜市 居所 東京都千代田区

事件本人 安部真美(仮名)

主文

申立人が事件本人を養子とすることを許可する。

申立人と養子縁組後、事件本人の氏名はマミ・フリックと称するものとする。

理由

一、申立人は、主文と同旨の審判を求め、その事由として述べるところの要旨は、

1、申立人は、アメリカ合衆国人であるが、一九六九年(昭和四四年)三月二六日、日本国人である安部容子との婚姻届出を了した。

2、事件本人は、右安部容子とその前夫本籍横浜市西区○○町二丁目○○番地高田秀一(昭和四二年二月六日離婚)との間の長女として一九六一年(昭和三六年)三月二九日に出生し、右安部容子が申立人と婚姻以来、申立人に引き取られ、申立人と安部容子によつて監護養育されている。

3  、申立人は、事件本人を現実に監護養育している以上、事件本人を自らの養子とし、フリックの姓を称させることを希望している。よつて本申立に及んだ

というにある。

二、審案するに、申立人提出の各疎明書類、本件記録添付の各戸籍謄妙本並びに申立人および安部容子に対する各審問の結果によれば、次の事実が認められる。

1、事件本人の母安部容子は、一九三九年(昭和一〇年)八月五日生れの熊本県出身者であるが、一九五九年(昭和三四年)一一月頃本籍横浜市西区○○町二丁目○○番地高田秀一と婚姻して、同人と横浜市内で同棲し、一九六一年(昭和三六年)三月二九日同人との間の長女として、事件本人を分娩したこと。

2、右安部容子は、高田秀一と不和のため一九六六年(昭和四一年)初め頃から同人と別居し、事実上離婚状態となつたのであるが、同年春頃たまたま演奏旅行で日本に滞在中の申立人と知り合い、更に同年夏頃米国に旅行し、申立人と再会し、親しく交際するようになり、申立人との婚姻を考えるようになつたこと。

3、右安部容子は、一九六七年(昭和四二年)二月六日正式に高田秀一と協議離婚し、その際、同人との協議で事件本人の親権者となり、以来事件本人を監護養育していること。

4、右安部容子は、離婚後間もなく事件本人を伴なつて、渡米し、申立人とカリフォルニア州ロスアンゼルス市○○○○一一、九四二において事実上の夫婦として同棲するようになつたこと。

5、事件本人は、申立人に馴付き、現在ロスアンゼルス市内の小学校二年に在学中であり、申立人は右安部容子と相談のうえ、事件本人を申立人の養子とすることを決意し、その手続のため、まず一九六九年(昭和四四年)六月初め頃右安部容子および事件本人を帰日させ、次いで申立人も同月七月一八日来日し、以来右安部容子および事件本人とともに肩書居所に滞在していること。

6、右安部容子は、一九六九年(昭和四四年)三月二六日横浜市西区長に対し正式に申立人との婚姻届出を了した(アメリカ合衆国カリフォルニア州判事婚姻証書謄本は同年六月三〇日に同国在ロスアンゼルス日本国総領事に受附けられ、同年七月二三日に送付された)こと。

7、申立人は、一八九九年七月四日フランス国パリにおいて出生した元フランス国人であるが、パリの音楽学校を卒業した後、アメリカ合衆国に渡り同国籍を取得し、以来約四〇年間同国内に居住して音楽関係の仕事に従事し、現在○○○所属のコンサート・マスターをしていること。

8、右安部容子は、帰日後前夫で事件本人の父親である前記高田秀一と会い、本件養子縁組について同人の同意を求めたところ、同人も異議なくこれに同意したこと。

三、右認定の事実からすると、養親となるべき申立人がアメリカ合衆国人であり、養子となるべき事件本人が日本人であり、本件はいわゆる渉外養子縁組事件であるので、まずその裁判権および管轄権について考察するに、養子となるべき事件本人が日本に居所を有する日本人であり、養親となるべき申立人もアメリカ合衆国人であるが、日本に居所を有しているので、日本の裁判所は本件養子縁組について裁判権を有し、かつ、当家庭裁判所が管轄権を有するものというべきである。

四、次に本件養子縁組の準拠法について考察するに、日本国法例第一九条第一項によれば、養子縁組の要件については、各当事者につき、その本国法によるべきものであるから、本件養子縁組の要件については、養親たるべき申立人については、その本国法たるアメリカ合衆国法が、養子たるべき事件本人についてはその本国法たる日本国法が、それぞれ適用されることになる。そしてアメリカ合衆国は、各州によりそれぞれ法律を異にするいわゆる不統一法国であるので、日本国法例第二七条第三項により、養親たるべき申立人については、その属するカリフォルニア州法が適用されることになる。しかしながら、養子縁組に関するアメリカ合衆国の国際私法については、判例法上、一般に養子または養親のいずれかのドミサイル(domicile、本源住所、選択住所または法定住所)のある州(または国)が養子決定の裁判管轄権を有し、その際の準拠法は当該州(または国)の法律、すなわち法廷地法であることが認められており、この点はカリフォルニア州においても同様であると解され、養親たるべき申立人のドミサイルはカリフォルニア州にあるが、養子たるべき事件本人のドミサイルはなお日本にあると認められる本件養子縁組については、結局日本国法例第二九条により、養親となるべき申立人、養子となるべき事件本人のいずれの側にも、準拠法として日本国法が適用されるものといわなければならない。

五、ところで、日本国民法第七九八条但書によれば、本件の如き配偶者の直系卑属を養子とする場合には、家庭裁判所の許可を要しないのであるが、この規定は単に許可を不要とするだけで、許可不要の場合に、とくに当事者が許可を求めているときに、家庭裁判所が審査し許否を決する権限まで否定する趣旨とは解せられないのみならず、申立人の本国法であるカリフォルニア州法においては、かかる例外はなく、すべて未成年者の養子縁組については、裁判所の養子決定を要することになつているので、かかる本国法を尊重してとくに本件養子縁組については、当裁判所は審査を行ない、許否を決すべきものと解する。

六、その他日本国民法によつて審査するに、申立人が事件本人を養子とすることに妨げとなるべき事情はなく、養子縁組の成立は前記二において認定した事実によつて、事件本人の福祉に合致するものと認められるので、本件申立は理由があるというべくこれを許可することとする。また養子縁組後事件本人の称すべき姓については、親子間の法律関係の問題として、日本国法例第二〇条により父の本国法であるカリフォルニア州法によるべく、同州民法第二二八条によれば、養子は養親のファミリー・ネームを称することができることになつているので、本件養子縁組後事件本人はマミ・フリックの氏名を称するものとし、主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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